2012年9月1日土曜日

現在の教育制度は社会認識に対する無関心を生み出す諸悪の根源

> 人類滅亡という状況は、現実の営みが滅亡に向かっているということであり、旧来の現実(=私権社会の現実)を対象化した学校教育や教科では現実に対応できなくなっているのは当然です。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=35179

 なぜ、これまでの学校の勉強が面白くないのか?

 それは、その内容が、ことごとく傍観者の視点でしかないからではないだろうか?

■現在の問題に答えられていないという致命的欠陥

 たとえば、暗記科目の代表である歴史を見てみる。

 普通の子供なら、「なぜ歴史を勉強しなければならないのか?」と感じるが、教科書はこの出発点にさえ、答えられない。
 なぜなら、現在の歴史の教科書というのは、歴史学者の積み上げた知識を並べただけで、しかもその歴史観は19世紀の頃から基本的に変化していない=「現在」の問題に答えられていないという致命的な欠陥がある。

 しかも、もともと、歴史を学ぶための問題意識自体がないわけだから、「あれがあった」「これがあった」と、出来事の知識は増えるが、それが一体全体として何を意味しているのかわからないまま、生徒たちは学校を卒業していくことになる。

 その結果、どういうことが起こるか?

■現在の教育制度は社会認識に対する無関心を生み出す諸悪の根源

 歴史とは、「社会」の歴史である。だから、歴史が何を意味するのかよくわからない、ということは、自分が生きる「社会」がわからないことと同じである。

 そうして出来上がった「社会」像は、意味不明なまま、いつまでも自分とは無関係な存在であって、自分がその社会を動かし得る主体である=「当事者」であることを自覚する機会を永遠に与えられないことになる。つまり、現在の学校は、社会認識に対する無関心を生み出す元凶なのである。

 自分は「当事者」でないのだから、自分とは何も関係のないことを教えられる=自分の現実と交差しないことほど、人間の観念機能の原則に反することはない。

 だから、これまでの学校の勉強はつまらないのである。

■現代、勉強するとは、私権秩序の主体になること

 しかも、勉強の必要性に気づくのは、受験という圧力=私権闘争の必要性に気づくのと同時であるから、勉強をすればするほど、私権秩序の主体としてその体制に組み込まれて行かざるを得ない。

 そして、勉強の必要性とは受験の必要性=私権闘争の必要性であったから、私権圧力が衰弱すればするほど=時代を追えば追うほど、無意味なものになる。
  
 つまり、現在の支配体制を「良いもの」として、過去の歴史を「現在」を基準にして見る「形式主義」だけが歴史の教科書の中に残り、観念捨象の潮流はますます加速することになったのである。

■その中身が「現実の圧力」に対応しているかどうか

 これでは、教師たちがいくら小手先の工夫で生徒の興味関心を引こうとも、それは一時しのぎであって、結局、歴史の知識は、単なる教養にとどまるか、忘れ去られる。

 何かを学ぶと言うことは、一つの生産活動である。である限り、「現実の圧力」に対応することと常に一致していない限り長続きするわけがない。

 そして、例えば歴史が「社会」の歴史である以上、その中身が「社会」の「現実の圧力」に対応した史観でないかぎり、絶対にその必要性は生起しない=面白くならないのである。

阪本剛

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