2012年9月11日火曜日

路上の勉強の場を教室へ

>①学校でのテストは参考書持ち込み不可で暗記中心
⇔社会でのテストは何でも持ち込み可で知識よりも答え(=可能性方針)が中心 
 社会では参考書を見るのも、カンニングペーパーを作るのも、人に聞くのも何でもあり。むしろ、使えるものを使わないことはマイナス評価。何よりも出した答えの中身が問われる。にも拘らず、社会に適応するための学習の場である学校は全く違う内容の「学校勉強」を何十年も教え込む。これでは、社会に出て役に立たないのも当たり前。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=70499 以下同じ)

子供たちもこのことは直感的に感じている。「なんでこんなこと勉強せんとあかんのん?」昨年、露店で高校生の女子から発せられた言葉が耳に残っている。

>学校の試験問題はすべて、役所や教師が決める。生徒はその決められた問題(課題)に受動的に取り組むだけ。しかし、現実の社会では問題(課題)というのは、与えられるものは少なく、自ら問題(課題)を設定していかなければいけない。と言うよりも、「何が問題(課題)なのか?」を構造的に認識できれば、答えは半分以上出たともいえる。

なんで屋露店で展開される勉強の空間を、中学生を対象に日々の教室のなかに再現できないかと思う。
ひとつの試みとして、各単元の問題を子供たちに作らせて見たらどうだろうか。

どういうことがこの単元でできるようになればよいのか(獲得目標)を皆で検討。そのための問題の選定。設問形式の種類の確定。易から難への配列の決定。できない問題についてのフォローのしかた・・・・

こういったことを教師が提示しながらも、その具体的内容は子供たち主導で話し合いながら細目を詰めてゆく。もちろん、問題集だって参考書だって、過去の実力テストだって参考になるものはなんでもOK。自分たちの手作りの問題ができたらそれを教師がワープロで打って(ひょっとしたらそれくらい子供の中にはできる子がいるかもしれない)皆で解いてみて、これで定期テストには大丈夫か、公開テストには?といったことを評価検討してひとつひとつ単元問題を手作りしてゆく・・・・。

教室という勉強の空間を仲間とともに自分たちが作ってゆく実感を子供に味あわせてあげれば、どんなにこどもの眼の輝きが違うだろうかとおもう。何かを主体的に実践して形あるものを創造してゆく過程で、仲間の協力も必要だし、己の知識不足や視野の狭さにも自ら気づくだろうし、そのことは何より、教師が一番痛感することかもしれない。(子供の作った問題の適否の判定・そのことを子供に理解できるように伝える方法・自分が知らない子供の一面 etc.)

単に遊びを授業に取り入れて勉強とは関係のない地平で盛り上がって終わり(=代償充足)にするのではなく、その日の課題に正面から取り組みながら勉強の場を教師と生徒が自ら作り出してゆくこと・・・その実践に向けてみなさんから様々なアイデアが出てくることを期待します。


あずみ 

0 件のコメント:

コメントを投稿