2012年9月7日金曜日

『マニュアル化できない期待』『点数にならない思考』

今まで一番印象に残ってる授業は、小学校の頃の授業。
それは、毎週時間に余裕を見つけてクラスみんなで楽しめる「遊び」を考える。そんな授業(?)だった。水鉄砲とか、時には演劇をやったり、いろんな遊びを自分達で考えるのが楽しかった。

「クラスみんなで楽しむ」なんてのは、お題目として掲げるのは簡単だけど、実際にその為にどうすればいいか?っと考え始めるとこれは子供ながらに結構考えさせられるものがあったように思う。


もう一つ印象に残っているのは同じ先生が出した課題で、当時起っていた「イラン・イラク戦争」の新聞記事の切抜きをする。という課題。授業外の宿題で、特に先生から教訓めいたものが提示されるわけでもなく、ただ、「今起っている歴史」を知りそれぞれが考える。という課題だった。どちらの授業も「答え」も「マニュアル」もないから「点数」もつけられない。だけど確かにそこには子供ながらに「思考」する時間があったように思う。思えば小学校の頃は点数にならない授業がたくさんあった。

中学校に上がって「内申書」をつけるために「点数」になる授業ばかりになった。いい高校には行きたかったので「点数」は欲しかった。
「マニュアル」でしか授業を出来ない先生達はテストも、点数のつけ方も、マニュアル化されていて、何も考えなくても教科書を丸暗記していれば点が取れた。「勉強」がくだらないものに思えたし、同時に「学校」がひどくつまらないものに思えた。

問題は「教師」が「生徒」に対し「平等に」「点数」をつけることじゃないかと思う。そんなことは無理だし、意味がない。けれど点数をつけろと誰かが言うから「マニュアル化」された仮の指標が必要になる。100mを15秒切るとプラス1点。宿題をやってくればプラス1点。。。

一方で、みんなで課題を共有するとき、それぞれの評価はその仲間に聞けばすぐに分かる。あいつの考える遊びは面白い。とか、あいつはしゃべるのは苦手だが物を作らせるとスゲー上手いとか。。。

「詰め込み教育」が「ゆとり教育」に変わったとしても、一体何が変わるのだろう?今、学校に求められるのは、「マニュアル化できない期待」だとか「点数にならない思考」だとか、そんな点数には出来ないけれど、現実に存在している仲間内でのそれぞれの評価をそのまま評価するような、そんな変化なんじゃないかと思う。


東努

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