近代になって、それまでの一部の支配者だけが私権獲得を独占していた時代から、万人に私権獲得の可能性が開ける時代へ変化します。そしてその頃、科学分野を研究する大学や学科が国家により制定され、そこで研究する限り生活を保障される『科学者』という特権身分が確立します。
それまで大学といえば、神学を中心とした人文系であり、かつ支配者の子息を中心とした閉ざされた場として存在していました。それに比べ、近代の大学は学力さえあれば、誰でも入ることができるようになりました。
そして、近代の学校教育は、自らの私権獲得のために必要な内容に限定して教育するため、全体性を喪失した、固定的.専門的なカリキュラム型が可能になりました。しかしそれでも、万人の豊かさの実現(万人の私権獲得)という、国家も含めたみんな期待には応えられるようになりました。
そこでの私権主体たる個人は、この限定された異常な教育の中でも、将来得られるだろう『うまみ』のために、共認充足が出来ていない自分の意識を捨象しながら、勉強してきました。
また、全体性を喪失している固定的カリキュラム型の教育は、万人の豊かさの実現(万人の私権獲得)以外には無力であり、環境問題、経済破局、精神破壊などの人類の適応不全という、全的な思考が求められる課題には役に立ちません。
本田真吾
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