2012年9月12日水曜日

私権制度である近代学校の限界

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=81182 井上緑さん 『「学校」を変える=「社会」を変える』
>なぜなら「教育」という場は、現実社会と隔離された温室空間であるから。社会が序列原理⇒共認原理に移行しているにもかかわらず、「教育」という領域は社会空間から切り離されているので未だ序列原理で動いている。外圧=内圧。

2012年9月11日火曜日

路上の勉強の場を教室へ

>①学校でのテストは参考書持ち込み不可で暗記中心
⇔社会でのテストは何でも持ち込み可で知識よりも答え(=可能性方針)が中心 
 社会では参考書を見るのも、カンニングペーパーを作るのも、人に聞くのも何でもあり。むしろ、使えるものを使わないことはマイナス評価。何よりも出した答えの中身が問われる。にも拘らず、社会に適応するための学習の場である学校は全く違う内容の「学校勉強」を何十年も教え込む。これでは、社会に出て役に立たないのも当たり前。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=70499 以下同じ)

子供たちもこのことは直感的に感じている。「なんでこんなこと勉強せんとあかんのん?」昨年、露店で高校生の女子から発せられた言葉が耳に残っている。

2012年9月10日月曜日

子供たちに『勉強の必要性』を語るのは難しい…?!

露店で『勉強しないといけないのは、なんで?』のお題を選んだ学校の先生。子供たちに『勉強の必要性』を分からせるのにホトホト困っているらしい。
「理科の授業で『オームの法則』を理解しても、ほとんどの子供たちは日常も、また将来も使うことはない。むずかしい数学なんかできなくても日常生活に支障はない。一体どのように『勉強の必要性』を伝えたらいいのか。」

理科や数学の授業において子供たちがソッポを向いて授業が上手くいってないのだろうか。それとも「先生、なんでこんなこと覚えなあかんの?」、と言われて返答に窮したのだろうか。

昔なら、「子供の仕事は勉強。そんなこと言ってたら高校に通らないぞ」とか、「今一生懸命努力したそのことが、将来の壁を突破する力となるのだ」などと話せば、一定納得して勉強したものだが…しかし、今の子供たちにそんなこと言っても子供の心に響かない。

「勉強の必要性は、自分の将来役に立つかどうかではない。勉強は自分のためにやるというのではなく、みんなのお役に立つため、みんなの期待に応えるため。」という店主の半答え。
なるほどと頷きながら、でも実際に子供たちに話す場面を想定すると、必要性を納得させるのはかなり難しいと感じる。「お役に立つ」ことが将来へ保留されるので、子供に実感させにくいのか…。

このお題、考えてみると結構奥が深い。

2012年9月9日日曜日

「HOW TO思考」は現実捨象思考

子供達に勉強を教えるときに、「結果(答え)だけを覚えてもダメだ。どのようにしてその答えが出たのかのプロセスが大事。解法をしっかり抑えること」とはよく言うことだ。が、この「こうすればこうなる」という「HOW TO思考」は、カリキュラム問題とともに、近代教育指導方法の欠陥ではないかと思う。教育者は、一生懸命教えてきたとしても、結局は現実捨象の思考方法を教えてきたのだ、と総括すべきではないか。

2012年9月8日土曜日

万人の私権追求を支えた近代学校教育

近代になって、それまでの一部の支配者だけが私権獲得を独占していた時代から、万人に私権獲得の可能性が開ける時代へ変化します。そしてその頃、科学分野を研究する大学や学科が国家により制定され、そこで研究する限り生活を保障される『科学者』という特権身分が確立します。

それまで大学といえば、神学を中心とした人文系であり、かつ支配者の子息を中心とした閉ざされた場として存在していました。それに比べ、近代の大学は学力さえあれば、誰でも入ることができるようになりました。

2012年9月7日金曜日

『マニュアル化できない期待』『点数にならない思考』

今まで一番印象に残ってる授業は、小学校の頃の授業。
それは、毎週時間に余裕を見つけてクラスみんなで楽しめる「遊び」を考える。そんな授業(?)だった。水鉄砲とか、時には演劇をやったり、いろんな遊びを自分達で考えるのが楽しかった。

「クラスみんなで楽しむ」なんてのは、お題目として掲げるのは簡単だけど、実際にその為にどうすればいいか?っと考え始めるとこれは子供ながらに結構考えさせられるものがあったように思う。

2012年9月6日木曜日

思考停止させる教育が教育と言えるのか

>そして、より問題なのは、なんかヘンな解決法があたかも科学的であるかのように教えられていることにある。それでは、「なぜか?」を考えること自体が無駄であると教えているのに等しい。(60424)

 自分のこどもの頃を思い出してみると、そもそも学校で教えられていることにおかしいことがあるだなんて誰も思いもしなかったと思います。そのことに何の疑いも無く、そして、試験があるためにそれを丸暗記していました。「なぜか?」を考えることを先送り或いは捨象してしまっていたように思います。というより、させられていたように思います。

 これが”つめこみ教育”の実態だったんだと気付きました。

 つめこみ教育→ゆとり教育と変わってきていますが、この思考停止教育は何ら変わっていないのではないでしょうか。

 ゆとり教育以降、学力の低下ばかりが取りざたされているように感じますが、それよりも、知らず知らずのうちに思考停止させられてしまっている教育のあり方こそ見直すべきだと思います。


前山修司