2012年8月31日金曜日

何もしないという役割は、人も社会も滅亡させる

これまで、なにかをするということについて、私権時代の社会欺瞞、利己的・利他的な態様をなす自己欺瞞について、かなり突っ込んだ議論がなされてきました。しかし、なにかをしないことによる弊害も多いと思いました。ここでは、それを「持ち点」で考えてみました。

 象徴的には、偏差値。これは何もしない集団のなかで、平均点を取れば、一人一人に50点がもらえます。つまり、得点が0点でも偏差値が50点というがありえるということです。さらに、何もしない当該集団自体が、より大きな何もしない集団に包括されるとき、小集団の偏差値は50点です。
 今の日本のお役所のように、ミスをしなければ出世できるというのは、このような皆でわたれば(皆で0点を取れば)こわくないというシステムだからでしょう。これは初めから、持ち点があるからです。

2012年8月30日木曜日

義務教育は洗脳の手段だった

>与えられた認識に汚染されるばかり<
>タダでばらまかれることに大きな落とし穴が<

今日までどれだけ教育改革が叫ばれ、どれだけ鳴り物入りの「改革」がなされてきたことだろう。教育制度をくぐってきた体験の中、改善されたという実感はなかったし、今行われようとする改革も明るい見通しは持てない。

それは、結局、根本に義務教育があるからではないのだろうか。憲法により「無償」と規定された子供の教育は、社会的洗脳の始まりである。明治の近代国家建設期から、国家の、支配階級の教育支配が綿々と続いている現実。それは、一人の人間の幼い「認識」を形成する学校教育から始まっている。

学校は作りたい者が作り、行きたい者が選んで行く。人の集まりに応じて評価も淘汰も自ずからなされていく。これが真っ当な学校と教育のあり方ではないだろうか。社会的洗脳機構としての学校教育をみるとき、義務教育などもういらないと思う。

2012年8月29日水曜日

判断の土俵と解体・再統合 大学の例

最近仕事で大学に関わることが多い。平成4年に団塊ジュニア世代が18歳を迎えて以降、18歳人口は減り続ける一方で、大学は強力な淘汰圧力に晒されている。

大学の評価は、かつての偏差値評価が廃れ、人数による評価が端的な評価として使われる。具体的には入口としての応募者数、出口としての就職者数。入学金や授業料が評価の指標となることはなく、金額は後から付いてくる程度のものでしかない。

学士様という言葉は死語になり、大学を出たからといって箔がつく時代は終わった。大学に行くか否か、どこの大学に行くべきか、その判断は実際どれだけ役に立つのか、社会に必要とされているのかという視点になってきている。

それが就職者数に表れ、応募者数に反映されていく。そして応募者が定員割れとなる大学が珍しくなくなり、廃校や統合される大学が出てきている。この動きは目に見えて加速している。

>この様にして、『判断の土俵』を基礎とし、『人数』を評価指標とする新しい演場の中に、国家(身分)も市場(お金)も呑み込まれ、解体され、再統合されてゆくことになる。 (33995、四方氏)

認識形成を役割とすべき大学は、四方氏の上記投稿がまさに現実となっている端的な事例だろう。


石橋直樹

2012年8月28日火曜日

「いい子」の非行が増えている。

水戸家庭裁判所の調査官、佐々木光郎氏によると、1990年の初めころから、それまで大人を困らせたこともなく、勉強やスポーツでがんばっている、いわゆる「いい子」の非行が増えてきているそうです。

例えば、大学進学を目指していた高校1年生のA少年は、繁華街で同級生らと酒に酔った中年男性を襲い、金品を強奪しました。重大な犯罪なのですが、面接では「皆でワイワイガヤガヤしながら何かをするのが楽しいかった」といったそうです。佐々木氏によると、行為の結果が重大であるのに比して、非行に至るさまは、あたかも小学校の高学年の子供たちが群れをつくって遊んでいるように感じられたそうです。

2012年8月27日月曜日

教育者は、エライのか?(1)

極めて個人的な感覚で恐縮ですが、私は、いわゆる教育者の発言に、一見もっともでありながら、ある種の「傲慢さ」と「曖昧さ」を感じることがままあります。この会議室の参加者の方々には少々反発を買う内容かもしれませんが、忌憚の無いご意見を頂ければ、と思います。

例えば、教育者と子どもの関係について、最近よく言われていることのひとつに、大人からの解答の押し付けはよくない、というのがあります。答えを大人が固定するのではなく、子供が疑問を持った動機を大切にし、子供の迷っている気持ちと同じになってその答えを考える過程が大切であるという意見です。

確かに、既にある教科書的な学知や近代思想のイデオロギーは、(それを飯のタネにしている者以外には、)全くリアリティのないお題目に成り下がりつつありますし、社会自体も既にある解答では立ち行かないところに来ています。考えるプロセスが重視されるというのは、至極もっともなことです。

しかし教育ということに関して言えば、私は基本的に、子どもに対して答えを固定するも何も、大人自身が本気で考えていることは伝わるし、安易で耳障りのよい観念にしがみついているずるさや胡散臭さも、親と教師が馴れ合ったり押し付けあったりしている醜さも、同じように子どもに伝わるものだと思います。

しかし、教育者の発言では、多くの場合、「押し付けはいけない」ということのほうが強調され、多様性やプロセスが大切といった、本質的ではあるが、抽象的で曖昧模糊とした結論で思考停止していることが多いようにも見受けられます。


岩井裕介 

2012年8月26日日曜日

「獲得された無力感」と「効力感」その2

では、内発的動機づけをはたらかせて、効力感をもちながら課題をすすめられる要件としてはどのようなことがあるでしょうか。

心理学者には、効力感の形成には、まず、努力の主体、行動をはじめ、それをコントロールしたのは、ほかならぬ自分であるという「自律性の感覚」を持つことが重要であるとの意見が多くみられます。

例えば、以下の実験に対する解釈にみられます。
課題の成功に対して、「ごほうび」などの報酬を与えることを事前に知らせておくことは、一時的には活動は活発になる。しかし、その後はむしろ、課題に対する活動の意欲は低下する。低下を防ぐには、次々に「ごほうび」の質を上げなければいけない。そして、最後には、「ごほうび」が与えられない課題に対しては意欲や興味を示さなくなる。また、教師が「点数をつける」などの成績の外的評価をすることは、内発的な興味の低下を招き、さらに、より高い課題に挑戦してみようとする向上心を弱めてしまう。

上記の実験に対する心理学者の解釈は、以下のようなことです。
金銭、ごほうびなどが与えられるとそれを得ること自体が目的となったり、外的評価が与えられるとなるとその基準に合わせるようになり、行動の主体が自分ではない、自分で自分の行動をコントロールできていないとの感覚が生じ、内発的動機付けが弱められるとします。よって、効力感を感じ、内発的動機付けが生じるには、自分は自分の行動の主人公であるという感覚が大事である。

2012年8月25日土曜日

社会と学校教育②(現状と可能性)

若者たちが、そんな不安定で不確かな(よって、信じられない)価値よりも、日常的な仲間関係のヒエラルキーに収束してゆくのは、よく分かる気がします。

確かにそこでは、仲間を過剰に意識しすぎていじめや表層化現象が起こったり、評価軸に偏り(異常性)が生じたりして問題視されていますが、それは仲間圧力やヒエラルキー構造自体が原因なのではなく、そこにしか突破口(収束or統合可能性のあるもの)が開けておらず且つそこに普遍的課題(生存的課題や社会的課題)がない為に、排他的・盲目的になってしまうからではないかと考えます。

2012年8月24日金曜日

社会と学校教育①(問題と限界)

>それは、先生が社会人で無いからである。
>そのような先生に教わったところで社会の実際の仕組みなどわかることもできない
(現代秀作掲示板http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=3282『社会人でない先生』より)

私も、“教師”という「教える事専門」の職業には疑問があります。
そして、「教わる事専門」の場である“学校”にも、やはり同様に疑問を持っています。
例えば、学校という特殊空間に、社会人教師が入ったとしても、社会(生産現場)に接していない子供達に、その教師に対する尊敬と一体感(仲間意識)は、芽生えるでしょうか?
尊敬も一体感も感じられないその社会人の言葉や行動は、果たしてその場で有効に機能し子供達に吸収されるのでしょうか?
マスコミや評論家は「大人(教師や親etc)自身がしっかりすること」「大人(教師や親etc)は威厳を持つこと」「子供には目上を敬う気持ちを持たせること」など一見もっともらしいことを云いますが、本当にそれは可能なのでしょうか?

2012年8月23日木曜日

教育業界はこのままでは淘汰される。

子供たちの勉強離れが深刻化している。受験勉強では、全く活力が湧いていない。それはなぜか?

昔は明日も生活できるか分からない状況だったので、誰もが裕福になることを目指していた。そこで私権を獲得するために、受験勉強に必死に取り組めていた。しかし貧困を克服し、私権時代→共認時代に転換すると、私権獲得のための受験勉強に意味を見出せなくなる。したがって、受験勉強は無意味なものになったのだ。

それなのに、中学受験塾に代表されるように、教育業界が未だに受験勉強を教え続けるのはなぜか?

それは、私権時代につくられた制度の上でしか物事を考えていないから。代表的なものは受験制度である。社会で求められる知識の多くは小学生レベルまでであり、それ以外の勉強は全く役に立たない。だから、余計な勉強を詰め込ませる教育業界は旧いし、これでは人が育たない。それは今の官僚や企業のトップを見ていたら分かる。彼らは皆受験エリートであるが、私たち国民の期待に全く応えられていない。まさに無能である。今の教育業界は人を育てられないからどんどん淘汰され、沢山の買収合併が繰り返されており、非常に危機的な状況である。

しかし、教育に対する社会的な期待は高まっている。閉塞感が増すばかりの社会に対し、「このままでは社会がダメになる」と感じる人が増えており、次代の社会をつくる人材教育が求められているからだ。「社会の役に立つ人材を供給してほしい」という期待が、教育にかけられている以上、今後も教育は必要不可欠なものであるはずだ。しかし今の教育業界のままでは、全く応えられていない。それが現状である。

その社会的な期待に応えるには、旧い業界の枠を越えて考える必要がある。むしろ、業界を変える企業でないと、生き残っていけない。そのためには、今の時代状況を正確に読み解き、今後の予測をするための認識が必要不可欠であり、その時代認識があって初めて、既存の枠に捉われない試みにチャレンジしていける。その試みで新しい可能性を提示することによって、業界を変えることができるのだ。新しい可能性を提示して社会的な期待に応えられない企業のままでは、淘汰されていくことは間違いないだろう。

奥澤健

2012年8月22日水曜日

アメリカから読んだリクルート事件の深層④

引き続きマヨの本音http://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/22566faf275865c52c2caea94c93b3f7より転載します。
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先の引用部分のメタファーを一読しただけで、第二臨調や中曽根首相の私的諮問委員グループに結集した異常精神に支配されたエリートたちがリクルート事件に関係していたと予想できる。それも国鉄、日本航空、電々公社などの国有財産を利権化し、鳴り物入りで大宣伝した民活のカモフラージュの陰で収穫物を仲間のうちで分かち合おうとしたときに、川崎市という権力の周辺で発覚した収賄事件の余波から思わぬ疑獄構造が露呈してしまったのだ。また、そうである以上は第二臨調や首相の私的諮問委員グループの顔ぶれが、最終的に企みの配役として舞台に姿を現すことになる。「中曽根ファミリー」(あけび書房刊)に登場する二一四の諮問機関や審議会の顔ぶれを丹念にクロスチェックすれば、その全貌はたちまち明らかになるはずである。
 また、偶然ともいうべきか、私の東京滞在のある日のことだが、親しくしている日本のエスタブリッシュメントの家庭で、禁裏にも近い人を訪問して拙著を贈呈したら、本の内容について話に花が咲いた。中曽根政治と倒錯趣味についての話題になった時に奥方が「そういえば、お友達の家でアルバムを見せてもらっていたら、中曽根さんが長い髪を垂らして女装している写真がありましたのよ。そこで皆で、中曽根さんて変わった趣味をお持ちなのねって噂したんです。それもカルメンのいでたちでして実に板についておりましたわ・・・・」と教えてくれたが「フォーカス」あたりが耳にしたら大喜びしそうな情報だ。
 そういえば、何年か前に「週刊朝日」だったか「サンデー毎日」だかの記事で笹川良一が似たようなものを保管しているという発言をしたのを読んだ記憶がある。
 火のないところに煙りが立たないのだろうが、学生時代の仮装行列ならともかく、こういった病理学に属すような良くない趣味を国政のレベルにまで持ち込まれたのでは、一億二千万の日本人はたまったものではない。政界と財界を巻き込んだリクルート事件に関連して、これから次々と姿を現すナルシストたちは、ある意味では気の毒な異常精神の持ち主かもしれないが、こういった腐りきった倒錯趣味や疑獄への不感症を国政のレベルから一掃しない限りは日本に明るい未来は訪れないのではないか。
 私は構造地質学の学位をフランスの大学でもらったが、学士入学した文学部は中退だったし、ファシズムやナチズムの歴史や異常心理について学んだのは、政治学部や医学部のフリーの学生としてだった。それにしても政治の中に異常心理や倒錯趣味が紛れ込むような国がいかに悲惨な結果を招来するかについては、ナチスの歴史を通じて徹底的に学びとったつもりだ。
 そこで提案になるのだが、ロッキード事件やリクルート疑惑の追及を担当する東京地検特捜部の犯罪分析スタッフとして異常心理に精通した精神病理学の専門家を加え、世紀末の日本を地獄につき落としかねないエリート犯罪への対策を整えていただきたい。
 政治家たちの選良意識と倫理感覚がなくなっている以上、もはや歯止めになるものとしては犯罪病理学を徹底習得することと、児童心理学的なアプローチが役に立つと思うからである。

  代議士の分身としでの秘書

 一握りの権力者たちが情報と決済権を独占することにより、国政を政治業化している状態を指して、田原総一朗が「情断」国家と形容した点に関しては彼の「新・内務官僚の時代」に指摘してあるとおりだ。そして、情断化が巧妙に完成した国に、いかにも似つかわしい形で起こったのがリクルート事件であり、これは日本流のインサイド・トレードがもたらせた大疑獄の氷山の一角である。
 株式の上場を利用して巨大な政治資金を作る錬金術は、中曽根康弘が最も得意にしていたやり口でそれは東郷民安の「罠」という本に詳述されている。そのものズバリの賄賂を受け取ると田中角栄のように収賄罪で御用になるから、コロンビアやシシリー島の犯罪シンジケートの手口をまねて不正に入手した汚れた金をクリーニングするのである。
 また、老獪な政治業者として熟知するノウハウは、秘書をつかってその名義で取引することで、そうすればいざという時に秘書に全責任を負わせて自分は責任を逃れることができる。しかも秘書は雇い人だから使い捨てが可能でいくらでもボロ雑巾のように使ってポイである。
 リクルート株でボロ設けをした灰色高官として、公表されたリストで自民党の重鎮代議士を整理すると、その秘書の使いぶりが次のように歴然とする

  竹下首相関係(元蔵相)
    青木秘書官・・・・・・・・・・・・三〇〇〇株
    福田私設秘書(竹下の親族・・・・・一〇〇〇〇株
  宮沢蔵相関係
    服部秘書官・・・・・・・・・・・・一〇〇〇〇株

  安倍幹事長関係(元外相)
    清水秘書官・・・・・・・・・・・・一七〇〇〇株

  中曽根前首相関係
    上和田秘書官・・・・・・・・三〇〇〇株
    築比地秘書官・・・・・・・二三〇〇〇株
    大田私設秘書・・・・・・・・三〇〇〇株

  渡辺政調会長関係(元蔵相)
    渡辺私設秘書(長男)・・・・五〇〇〇株
  
  藤波前官房長官関係
    徳田秘書官・・・・・・・・二〇〇〇株


  加藤農水関係
    片山秘書官・・・・・・・七〇〇〇株
    加藤私設秘書(次女)・・・五〇〇〇株

ざっとこんな具合であり、国会を舞台に日本の政治業界ではヤクザの世界で子分が親分の身代わりになり、ムショいりするのと同じパターンが出来上がっている。そして税金を払わないでいい濡れ手に粟の黒いカネを求めて、蔵相や閣僚時代に手口をマスターしたホワイトカラー犯罪の名人たちで賑わっている。しかも。竹下首相以下が口裏を合わせたように「違法ではない」とうそぶいているが、「その身を正すこと能わずんば、人を正すを如何せん」である。為政者が政は正であると考えずに政治の要諦を見失い、上に立つものが「してはいけないことは絶対にしない」という倫理観を喪失すれば、これは亡国路線以外の何物でもない。特に蔵相を歴任した渡辺美智雄にいたっては「法に触れていねえことをやってどこが悪いと言うのか」とズーズー弁でまくしたて、盗人猛々しい態度で居直ったが、犯罪が実証されて起訴されないならば政治家はどんな破廉恥なことでもやっていい、とでもこの男は考えているのだろうか。
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新聞会

2012年8月21日火曜日

アメリカから読んだリクルート事件の深層③

引き続きマヨの本音http://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/22566faf275865c52c2caea94c93b3f7より転載します。
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   株と秘書名義を使った中曽根流の錬金術

 より意味深長な記述は第四章の「祭りのあと」の」「中曽根の取り分五億円の処置」に書かれている。一四四頁から一四五頁にかけての記述は「十月五日、野村証券から中曽根割り当て分百万株の売却代金が、何の連絡もなく突然、榎本の口座に振り込まれてきた。このやり方は私も首をかしげざるをえなかった(中略)早速、私は中曽根の所に行き、金額の詳しい説明をすると同時に、中曽根に渡せる分(五億円)をどのようにしたらいいのかの指示を仰いだ。『今すぐ必要な金ではないから、君の所でもう少し預っておいてくれないか』この中曽根の返事には私は少々腹が立った。彼が拝むようにして頼んできたので私としても非常に無理を重ねて、やっとここまで漕ぎ着けたというのに、いざ金ができると、このようなそっけない返事である。あまりにも身勝手すぎる話ではないか。『とんでもない。君の金を僕のほうで預かるなどというのはとうていできない』そう言って、私はきっぱりと拒絶した。『そうか。だったら上和田の名で預金しておいてくれないだろうか』上和田というのは中曽根の秘書の名前である」とあり、ここには秘書の名前を使った中曽根流裏金作りと、それまで金にガツガツしていた中曽根が五億円に大喜びしない状況が描かれている。しかし、その翌朝の十月六日には三井銀行銀座支店において、上和田秘書官と日本学術会議事務局長の名義を使った口座が開設され中曽根の政治資金としての五億円は預け入れられるのである。
 この殖産住宅事件と今回のリクルート事件を、青年時代の一時期にフランスに滞在して、レヴィ・ストロース流の神話の構造分析や、ジャック・ラカン流の深層心理の構造解析の洗礼を受けた構造主義者としての私が眺めるならば、状況の背後に潜んでいる基本構造を、疑獄のモデルとして抽出が可能になる。
 東郷民安が五億円を中曽根に渡す以前に、中曽根はその金額をはるかに上回るだけのものを入手済みであり、それは日本のジャーナリズムや検察当局が追求し得なかったロッキード事件にまつわる対潜哨戒機P3Cがらみの収賄であることは、ほぼ確実であると言えるのではないか。二匹目のドジョユを狙ったたけに中曽根は殖産住宅のやり口を繰り返し、構造疑惑の一端を氷山の一角として露呈したようである。
 公判維持のためにはまず物的証拠が必要だ、という先入観に支配された検察当局や事件記者たちは物的証拠という捕物帳レベルの伝統思考のまわりで右往左往しているだけである。しかし、現代における知能犯罪のやり口や国家権力を総動員して役人を手駒のように使う政治業者たちの悪行を、状況証拠の蓄積を突破口にして一掃するだけの気概と勇気を持ち合わせないなら、社会の道義心の低下が経済力を根底から損なう結果をもたらすことを教えている。
 かって伊藤検事総長が「巨悪は眠らせない」という名言でマスコミの拍手喝さいを受けた時に、発言の狙いが中曽根にあると噂されたが、腰の座らない検察当局に対して警察官僚は密かに嘲笑の声を漏らしたと伝えられている。
 検察官たちが検事総長の遺言を看過し「秋霜烈日」ということばを戯れに愛しょうし続けるなら日本列島に生きていく次の世代の多くは、正義とはいったい何を意味するものかについて、まったく理解できない人間になり果ててしまうと思わざるをえないのである。

  倒錯精神の危険

 専制政治というものは全体主義であり、帝国主義、民主主義、社会主義、そして自由主義という好みの名前で幾ら自分を飾りたてようと差異はなく、権力者による専横が続いている限りは基本構造を支配する腐敗体質が政治体制を特徴づけることになる。
 特に日本のように一党による権力支配が四十年以上も永続すれば、幾ら自由や民主を名乗ろうとも悪い風通しの中で支配機構の空気はすえたものになる。そして官僚機構の上層部が供応と共同謀議の慣れでバランス感覚を喪失して放免集団化して、権力の持ち駒として飼いならされてしまうと自浄機能が全く動かなくなる。こうした状況においでは、エリート集団が異常精神の持ち主によって構成されることを人類の歴史は末法時代や世紀末現象として教えているが、現在の日本を支配しているのがこの狂の時代精神である。
 そのことを拙著「アメリカからの日本の本を読む」(文芸春秋刊)の一五六頁から次の頁にかけての部分で「そして今、空洞化する産業界とカジノ化した経済環境の中で狂気と呼ぶしかない(円高)に振り回された日本ではナルシスト集団の饗宴の日々が司祭政治として中曽根時代を特徴づけたのである。国際化への派手な掛け声とは裏腹に孤立化への度合いは強くなり、自閉症的な人びとが好んだエリート主義は自由社会圏における経済競争を激化させたというのが新体制時代顛末である。また、生の様式としての男の友情がひとつの時代精神を構成したこともあり、中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴づけられる人材だったという事実。(中略)さらにこの時期に三島文学に傾倒した外国の文学者たちが大挙して日本にコロニーを作り、友情に結びついた海軍賛歌の静かなブームの中で情念の美学が文学界に浸透した。
 同性愛が時代精神を彩るにしても、このことばは現代最大のタブーである。そうである以上、倒錯精神やナルシズムをキーワードにして世界史や現代史の謎に挑み閉ざされた秘密結社の扉を開く鍵にしたらよい」と書いた。
 現代における最大のタブーに挑んだが故にその頭目から暗殺命令がでるかもしれない、大変きわどい章句を含んだ本書が出版された時、私はちょうど秋の東京を訪れていたが、折しもリクルート事件が燃え上がっていた。そして宮沢叩きがマスコミ界を賑わせていたが、私の読者であるジャーナリストの多くはこの事件の本質が単なる株のバラまきだとは拙著を読み抜いていれば考えなかったはずである。
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続く

2012年8月20日月曜日

世界の再生可能エネルギーの成長と発展の予測は完全に的外れだった

WIRED.jp http://wired.jp/2012/08/13/renewable-energy-predictions-wrong/
より、以下引用
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専門家の目は節穴? 驚異的な勢いで普及する再生可能エネルギー

2000年の「世界エネルギー展望」において頭でっかちな専門家たちによって定められた目標は、完全に的外れだった。クリーンなエネルギーは、場合によっては想定の10倍を超えて成長している。ある研究が警告している、過ちから学ぶべきだと。

疑り深い専門家たちよ、自ら過ちを正してほしい。あなた方の、世界の再生可能エネルギーの成長と発展の予測は、完全に的外れだった。

信頼の欠如と先見の明のなさによって、「わが過ちなり」と唱えなければならないのは、特にこの分野での基準と考えられている、国際エネルギー機関(IEA:International Energy Agency)によって2000年に発表された「世界エネルギー展望」を作成した、頭でっかちな専門家たちだ。

彼らの奥歯にものの挟まったような予言はすべて2020年のデッドラインにおける想定だったが、特に太陽光発電と風力発電において、予測された数値は10~15年も前に十分に達成されているのだ。

そう容赦のない知的な復讐をにじませながらリポートしているのが、アメリカの環境NGO団体Fresh Energyによる分析だ。12年前、2000年に策定された最も楽観的な目標に対し、全面的な不信感をもってその見通しの甘さを指摘している。

「今年のリオ会議(リオ+20)で発表されたリポートに掲載されている『再生可能エネルギー政策ネットワーク』のデータに基づいてわたしたちが明らかにしたのは、多くの専門家が、風力発電と太陽光発電がどれだけ成長するかの予測を大幅に見誤っていたことである」と、このNGOの理事であるマイケル・ノーブルは書いている。

しかし、どこで専門家たちは間違えたのだろうか? まずは全体的な枠組みから出発しよう。国際エネルギー機関によれば、再生可能エネルギーは、20年以前には水力発電を除くと生み出されるエネルギー全体の3%にも達しないはずだった。

第1の間違いは、すでに08年、想定の12年も前に目標のパーセンテージを超えたことだ。そして、11年にはさらなる転機を迎えている。

「いくつかの重要な市場における経済危機と、政治的な不安定が続いたにもかかわらず、11年は再生可能エネルギーによる発電施設が最も多く設置された年となりました。それらは新規設置の20%に達し、クリーンエネルギーは多くの国と地域に普及しつつあります。世界レヴェルでいうと、今日、再生可能エネルギー施設には500万もの雇用が生まれており、雇用におけるポテンシャルが、こうした技術を優遇する政策を押し進める主要因のひとつとなっています」。Ren21(21世紀再生可能エネルギー政策ネットワーク)の広報担当、モハメッド・エル=アシュレイはそう述べている。

詳細を見ると、太陽光発電においても、予測はあまり正確ではなかったことがわかる。科学者や技術者たちは20年までに7.6ギガワットの発電量を予測していたが、すでに昨年には69.7ギガワットと、予測の約10倍もの発電量が記録されているのだ。

しかし彼らの弁護のために、当時この分野の展望は悲観的なものだったことは言っておかねばならない。「2000年には、世界に設置されていた太陽光発電の総量は1.5ギガワットだった。そしてその大部分は、NASAの衛星のパネルや山間部の小さな家の小さな設備のように、電力網の外にあった」とFresh Energyは付け加えている。

すべて事実だ。しかし、なんという錯誤だろう。

風力発電に関しては、穴がさらにずっと大きい。「世界エネルギー展望」の頭でっかちな専門家たちは、10年までに世界中で30ギガワットの風力エネルギーがつくられるだろうと予測していた。これに対して、2年前の発電量は200ギガワット以上だった。総額4,000億ドルもの投資の結果である。

環境問題におけるあらゆる失態にもかかわらず、風力エネルギーの発展を牽引したのは中国だ。10年に、この広大な人民共和国においては2ギガワットの発電量が想定されていたが、実際には45ギガワットに達していた。今年の予測は150ギガワットと、想定されていたものの約40倍である。

中国の太陽光発電に関しては、世界銀行の専門家たちは20年までに0.5ギガワットの発電量を予想していた。それよりすでに10年も前に中国はこれを達成し、世界の発電量の1%を超えていたのだ。

引用ここまで
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山上勝義

2012年8月19日日曜日

大企業終焉の時代

戦後高度経済成長期以来、いわゆる「大企業」が産業界の主流であることが当然のように捉えられてきたが、ここに来て状況が大きく変わろうとしている。
大企業という組織形態は、大量生産・大量消費の時代(物的欠乏に応える工業生産の時代)、資本効率の最大化に価値を置く時代にのみ適応的であった。市場縮小の時代、共認充足の時代にはそぐわないものとなりつつある。

最近、いわゆる大企業が大幅なリストラを迫られ、苦境にあえいでいる。
経団連企業もおかしい。共認原理への転換と全く「逆走」するかのように自己利益の追求に向かっているが、こんな姿勢は長続きするはずもない。

「大企業の時代」は明らかに終焉を迎えつつある。

大企業終焉の時代http://blogs.yahoo.co.jp/aquarius1969newage/62351257.htmlより紹介。
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一流大学を卒業後、一流企業を目指すのは、失業へ向けてのベルトコンベアーに乗ったのと同じことである。

なぜか?
大企業の時代が終焉を迎えているからだ。
もちろん、全ての大企業がすぐに倒産すると言うのではない。
19世紀に始まった産業革命の到達した最終段階が、大企業の時代であり、それが今最終局面を迎えているのだ。

今、大型製造業は苦悶している。
その存在基盤が消滅しつつあるからだ。

巨大な資金が金融機関を通して集められ、投資され、巨大企業を作る。そこでは良質の商品が大量に作り出される。このシステムを成立させるためには、その商品を消費する巨大市場が存在していなければならない。
リンク 
写真はトヨタの生産ラインだが、これが19世紀型の大企業のたどり着いた最高の理想形態。
社員は終身雇用、年功序列、退職金、各種保険、厚生施設、これらが保障されているのは、良質の商品を大量に生産するためだ。

消費者が欲しがる共通の商品を手際よく開発し、同じ品質のものを大量に作る。
この方式が成立しなくなりつつあるのは、消費者がすでに全ての商品を所有しており、代替需要しか存在しなくなった成熟社会の結果だ。

そこで企業は新しい分野を探す。
なければ、未開発国へ出てゆく。そこで、戦後の日本がたどった道を再度やりなおす。
リンク
こういった国へ出向き、自動車を売り込むわけである。
生産ラインごと輸出してしまう。
そこで産地生産・産地消費をやろうというのだ。

それらを可能にしているのが、デジタル革命であり、獲得された生産のノウハウである。結果、先進国で作ったのと同じような商品が安くでまわる。
それは、先進国に逆輸出され、またたくまに先進国を駆逐する。

結果、日本の大企業は非常にキビシイ状態にあり、行きぬくために今までの方式を放棄しつつある。

50代・・・逃げ切りライン
40代・・・微妙なライン
30代・・・あきらめライン
20代・・・夢なしライン

大企業に勤める社員を年代別に見ると、上記のようになる。
日立電気や、朝日新聞にいる50代の社員は、定年までなんとか現状維持が可能だろう。
しかし40代以下は、もう絶望しかないのが現実だ。

まして今年の新卒入社など、話にもならない。

これは悪いことではありません。
フツーの状態に戻っただけです。
人類の長い歴史を見れば分かるが、大企業が存在し、終身雇用が実行されたのは、ここ50年間ぐらいの短い時間に起こった、特殊な出来事に過ぎないのです

にも関わらず、特殊を一般と勘違いしたのが悲劇の原因です。
一生懸命勉強して一流大学を卒業して、一流企業へ就職する。
本人も、それ以上に両親は大喜びだが、それはぬか喜びだ。

むしろ面白い時代が始まった。そう捉えた方が楽しい。
だって、永い人類の歴史、みんなそうやってなんとか工夫して、あれやこれやをやりながら生きてきたわけで、終身雇用なんて江戸時代のサムライぐらいでしょ。
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2012年8月18日土曜日

抗がん剤は、実は増癌剤だった

抗癌剤がマスタードガスから作られた発癌性物質であることは説明書にも書いてある常識だった。

http://plaza.rakuten.co.jp/OmMaNiPadMeHum/diary/201102100000/
より

今や日本人の死因の第1位となっている癌の治療について、こちらの医師のページに記載されているアメリカ議会ガン問題調査委員会「OTA」(Office of Technology Assessment)レポートによると、現在の癌の抗癌剤による通常療法は、

「抗ガン剤・多剤投与グループほど”命に関わる副作用”は7~10倍」
「腫瘍が縮んでも5~8ヶ月で再増殖」
「多剤投与グループは腫瘍は縮んでも生存期間が短い」
「腫瘍を治療しないほうが長生きする」・・・・と現代の治療”常識”を覆す治験結果が記されており、さらには「抗ガン剤では患者は救えない」「投与でガンは悪性化する」と結論している。

この結果をOTAが重視して、88年にガン問題調査委員会が組織されて、通常療法と非常療法(代替(だいたい)療法)の比較が行われました。ここで述べられている非通常療法とは食事・栄養・免疫・自然食・精神療法により身体の抵抗力を高めて、自然に治そうという考え主体の治療法です。

その結果・・・非通常療法の方が副作用無く治癒率が高いという結論になったのです。アメリカ国立ガン研究所(NCI)は現行の治療には数十余年で見るべき進歩がない。政府はNCIへの研究補助費に疑問を投げて、国民のためのガン治療をしているとは言い難いとまでNCIの責任を追及しているのです。
 追い打ちをかけるように会計検査院(General Accounting Office)の87年の調査報告書では、NCIへの予算がガン患者の生存率に寄与していないという報告まであげているのです。
(OTAレポートの後に、抗ガン剤が「増ガン剤」になるという問題は1988年(平成元年)の日本癌学会大会でも大きな問題となり、本家NCIでも同年に通常療法による癌治療が新たなガンを生むことを3000頁もの報告書「ガンの病因学」で認めているのです。
 
1988年のNCIリポート『ガンの病因学』で15万人の抗ガン剤治療を受けた患者を調べた結果、抗ガン剤は、ガンを何倍にも増やす増ガン剤だと断定している。

なんと抗癌剤は実は増癌剤だというのか!

抗癌剤の副作用情報を確認してみると。
ちゃんと二次発癌と書いてある。
抗癌剤が増癌剤であることは薬の添付文書、説明書であるインタビューフォーム、薬の辞典なども書いてある常識だったのだ。

一番上の抗癌剤はナイトロジェンマスタードと書いてある。
もしかして、ベトナム戦争で枯葉剤としてまかれ、多くの癌や奇形を出したマスタードガスに関係するのかと思い調べてみると、上の表の1行目のナイトロジェンマスタードや2行目のシクロホスファミドについて塩野義製薬の以下の説明を見つけた。

(中略)

なんと抗癌剤は本当に発癌性物質のマスタードガスから作られていた。

シクロホスファミドとマスタードガスの化学式の配列を見比べたら、シクロホスファミドはマスタードガスに殺虫剤や農薬や神経ガスに使うPのリンを付け足 したものであり、シクロホスファミドの致死量は1500mg。これはマスタードガスと同じであり、シクロホスファミドはマスタードガスと同等の毒物で あることがわかる。

シクロホスファミドは日本で一番使用量の多い抗癌剤だそうだが、万有製薬の提供する以下の情報では、抗癌剤の近くで作業するだけでも、不妊、流産、先天性障害、白血病、癌等を引き起こす可能性があるという。

(引用終わり)

中村英起

2012年8月17日金曜日

どうしたら独創的研究ができるか〔井口和基の公式ブログ

井口和基の公式ブログの記事『西村肇の「変わりゆく研究環境 どうしたら独創的研究ができるか」』http://quasimoto.exblog.jp/18672696/
の中の一つの章「許される研究と許されない研究」を紹介します。
科学研究者が「御用学者」になっていく理由が述べられています。

~~~~~~~西村肇博士の論説からの引用~~~~~~~
6。許される研究と許されない研究
 独走が社会と基本的に矛盾するため独走的に研究し続けることが非常に困難な生き方であることが理解されたと思います.するとこれに対し,「独走なんて必要なのか」という冷やかしの声がすぐ聞こえるように思います.もっと真面目な反論の声も聞かれます.「独創はoriginalityとすれば社会と対立しての独走は必要ないのではないか.つまり社会が期待する方向でハイウェイも準備されている研究テーマに乗り,世界的にoriginalityを高く評価される仕事をすればそれこそ独創ではないか」という主張です.

 必要かどうかは価値観の問題ですからここでは議論しません.しかし今後この問題を考えるために表面的でない事実=真実を伝えておきたいと思います.まず考えてほしいのは社会とは何かです.研究に関するかぎり社会とは単なる社会世論ではありません.それは国家です.社会が指向する研究とはつまりは国家が指示する研究です.国家は国家に望ましい研究を指示すると同時に望ましくない研究を阻止します.方法は,はじめは研究費抑制ですが,それでも効き目がなければ研究者の追放です.

 私は大学院のとき(1967年),先輩の遠藤一夫(北大教授)から,この仕組みを聞きました.彼の忠告は「君,国家にそむいちゃいけないよ.国家はなんでもできるんだから.何も書けないようにすることもできるし,職を奪うこともできるのだから」でした.でも結局,私は忠告を聞かず政府の技術施策が科学的に間違っているときは,それを鋭く追及する仕事をいくつかやりました.自動車の排ガス規制を技術的不可能を理由に政府がさぼろうとしたとき,計算上可能であることを立証して政府の審議会を総辞職に追い込んだこともありました.

 不思議に何の圧力も受けなかったので世の中が変わったのだなと思ってましたら,ある日突然,恩師ですでに退官していた矢木栄から呼び出しを受け,今後いっさい公害環境の研究をしないように言われました.なぜ信頼する恩師から理不尽な命令をされるかはわかりませんでしたが,やがてわかった真相はこうでした.東大助教授が政府審議会を辞職に追い込む事態を見て驚いた政府と産業界の意向を受けた当時の工学部長が,私を東大から追放するよう学科に強い圧力をかけました.学科は私のまったく知らない間に私を関西の小さな大学の助教授に移す人事を決め,相手の教授会も通してしまいました.そのあと学科の創設者である矢木のところに報告に行ったら「なぜ出すんだ」ということになり,事情説明の挙句,公害研究をしないことを条件に東大に残すことを矢木が提案し,私を呼んで命令したのでした.この真相は,その数年後,会合で隣り合った大阪市大の先生から「あなたが西村さんですか.あなたは私の助教授に来るはずだったんですよ.それが突然東大の事情で中止になったのです」と聞いてわかったのです.

 環境の研究を禁じられたため,中止になったのが5年近く続けていた水俣病の原因の研究です.チッソ水俣工場が排出したメチル水銀が水俣病の原因というのは社会の常識になっていて,裁判でも確定していますが,実はこれは単なる推定で,科学にもとづいた結論ではないのです.チッソ工場と同じアセチレン水添反応でメチル水銀が副成するという実験報告もないし,チッソの排水にメチル水銀が含まれていたという実測結果もないからです.そのため科学者,特に海外の科学者はこの常識を信じていません.チッソが水俣湾に排出した大量の水銀が環境中でメチル水銀に転化したと見ていました.でもそうすると不可解な謎が残ります.チッソ工場は1933年から操業しているのに20年後の1953年になってなぜ突然水俣病が発生したのか,チッソと同じ反応を使う工場は世界で40ヵ所もあるのになぜ水俣だけで水俣病が起こったかという謎です.

 私がこの研究を始めてすぐ気づいたのは,これほど大きな問題であるにかかわらず,また毎年数万の化学論文が発表されているにかかわらず,工場内でのメチル水銀生成の可能性を研究した論文は皆無ということです.1報だけ例外がありましたが,それはメチル水銀の生成はないとする昭和電工の論文です.不思議に思って調べてみると,大学でも企業でもメチル水銀について化学的に研究することは厳しく禁じられていることがわかりました.研究費が出ないことはもちろん,自費でやっても上司や周囲からストップがかかることを知りました.私の場合しばらく続けられたのは,すでに独走していて上司も周囲もなかったからでしょう.そこで最後の手段として追放が考えられたのでしょう.

 結局私が水俣病の研究に戻れたのは定年後,どこにも所属せず,自宅で研究を始めてからです.もし組織に所属して給料をもらっていれば,必ず給料を餌にして抑えこまれたと思います.50年前,遠藤一夫が言ったことはいまも本当です.たとえ国家にそむかなくても上司にそむけば同じ運命が待っています.独走は困難です.でも私は遠藤と同じ忠告を君たちにするつもりはありません.君たちの何人かは上司に示された道を無難に進むよりも自分の考えで切り拓いた道に上に小さいが歴史に残る発見か発明を残したいと思っているのがわかっているからです.こういう人は忠告を聞かないと思います.その理由は「自分は困難を乗り越えられます」という自信なのか「自分の生涯ですから」という覚悟なのかはわかりませんが.
~~~~~~~引用終わり~~~~~~~

(以下、井口和基氏のコメント)
これが、どうして科学研究者がだんだんと「御用学者」になっていくのかという理由である。御用をこなさないと研究費が下りないからである。つまり、自分の研究で研究費を受けているような研究者の研究はあまりたいしたことがないということなのである。これが私がフリーでいる基本的理由の1つでもある。「権威を信じるな。権威を叩き潰せ!」というのが、我々真の科学者の古代からの戒めの言葉である。これが「パラダイムシフトを生む原動力」なのである。

岡本誠