2012年8月31日金曜日

何もしないという役割は、人も社会も滅亡させる

これまで、なにかをするということについて、私権時代の社会欺瞞、利己的・利他的な態様をなす自己欺瞞について、かなり突っ込んだ議論がなされてきました。しかし、なにかをしないことによる弊害も多いと思いました。ここでは、それを「持ち点」で考えてみました。

 象徴的には、偏差値。これは何もしない集団のなかで、平均点を取れば、一人一人に50点がもらえます。つまり、得点が0点でも偏差値が50点というがありえるということです。さらに、何もしない当該集団自体が、より大きな何もしない集団に包括されるとき、小集団の偏差値は50点です。
 今の日本のお役所のように、ミスをしなければ出世できるというのは、このような皆でわたれば(皆で0点を取れば)こわくないというシステムだからでしょう。これは初めから、持ち点があるからです。
 
 貯蓄。財産権。実際、リスク回避のために必要なのでしょうが、貯蓄は持ち点化すると、なにもしないことのできる土壌を作ります。
 相続財産。持ち点の典型。
 投票権。二十歳まで生きていることで得られる持ち点。およそ年齢を根拠にする○○権。年金受給権など。
 国籍。国内に生まれるなどして得られる持ち点。
 (扶養家族や婚姻制度などの人的な囲い込みも持ち点確保に作用する)

 他にも多々ありますが、なにかをしなくても良い原因となる「持ち点」は、共認形成による統合社会を破壊するものとして、慎重かつ明確に否定されるべきものではないでしょうか。
 他方で、減点されないようにと、そればかりに気を配らなければならない、積極行動を制限するようなシステムも存在します。出る杭は打たれるのに何もしなければ持ち点で生きて行ける。

 皆の役に立つということを原動力にして、汗と涙を流しながら、人間・社会成長に直結するような統合をここにいる皆が目指している。のに対し、上記のような、高みの見物のできる土壌となる持ち点の存在は見逃せないのではないかと思うのです。

佐藤英幸

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