昔は明日も生活できるか分からない状況だったので、誰もが裕福になることを目指していた。そこで私権を獲得するために、受験勉強に必死に取り組めていた。しかし貧困を克服し、私権時代→共認時代に転換すると、私権獲得のための受験勉強に意味を見出せなくなる。したがって、受験勉強は無意味なものになったのだ。
それなのに、中学受験塾に代表されるように、教育業界が未だに受験勉強を教え続けるのはなぜか?
それは、私権時代につくられた制度の上でしか物事を考えていないから。代表的なものは受験制度である。社会で求められる知識の多くは小学生レベルまでであり、それ以外の勉強は全く役に立たない。だから、余計な勉強を詰め込ませる教育業界は旧いし、これでは人が育たない。それは今の官僚や企業のトップを見ていたら分かる。彼らは皆受験エリートであるが、私たち国民の期待に全く応えられていない。まさに無能である。今の教育業界は人を育てられないからどんどん淘汰され、沢山の買収合併が繰り返されており、非常に危機的な状況である。
しかし、教育に対する社会的な期待は高まっている。閉塞感が増すばかりの社会に対し、「このままでは社会がダメになる」と感じる人が増えており、次代の社会をつくる人材教育が求められているからだ。「社会の役に立つ人材を供給してほしい」という期待が、教育にかけられている以上、今後も教育は必要不可欠なものであるはずだ。しかし今の教育業界のままでは、全く応えられていない。それが現状である。
その社会的な期待に応えるには、旧い業界の枠を越えて考える必要がある。むしろ、業界を変える企業でないと、生き残っていけない。そのためには、今の時代状況を正確に読み解き、今後の予測をするための認識が必要不可欠であり、その時代認識があって初めて、既存の枠に捉われない試みにチャレンジしていける。その試みで新しい可能性を提示することによって、業界を変えることができるのだ。新しい可能性を提示して社会的な期待に応えられない企業のままでは、淘汰されていくことは間違いないだろう。
| 奥澤健 |
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